菩薩行の実践「ソナエルproject」とは
菩薩とは、悟りを求めるもの。
菩薩は、この世界全てのものを救済することを誓願としております。
ここでは、検校庵が行っている「誰もが菩薩行の実践を行える取り組み」についてご紹介させて頂きます。
「ほとけさま」へ供える行為を通して施主は徳を身に具える。
お供えされた供物が循環していくことで社会は安心を備える。
防災食を本堂に備蓄して災害に備える。
さまざまなソナエルを通して慈悲の循環を広げるプロジェクトを実践して参ります。
ソナエルその@ 仏さまにソナエル供物を寄付する「回向(えこう)」プロジェクト
回向(えこう)とは、善行の功徳を世界中にめぐらし向けることです。
つまり、お供え物を参列者以外にも分かち合うことは、法事の功徳を回向することでもあり、これが菩薩行の実践へと繋がります。
令和5年夏以来、茅野市宮川の入倉米穀様に諏訪の地元で採れた美味しいお米を「えこう米(仏さまへお供えするお米)」として提供して頂いております。
初めてえこう米を社会福祉協議会へ届けた際、出来ればおかずが欲しいという現場の声を担当者より頂きました。
「法事のお供え物にレトルトカレーやインスタント食品なんてどうなの?」と思われる方もいるかもしれません。
支援を求める声に応えたいと私どもは思います。
支援に必要なものをお供えし回向させる。
功徳をめぐらし現実的にどなたかが救われることを、仏さま(先立たれたご家族)は大いに喜ばれることでしょう。
これが仏の願いであり、我々にとっての菩薩行となります。
そこで検校庵では、令和6年より主食であるお米に長期保存可能なおかずを合わせた「えこうセット」をお供え物として準備しております。
法要後、供養されたお供え物はお寺が社会福祉協議会へ届け寄付をいたします。
そこから市内の各子ども食堂や生活困窮世帯など支援を必要とされる人々のもとへ届けられます。
昔の子供たちにとって団子はご馳走であり、盆彼岸になると墓地に供えられたお饅頭を食べに行ったものだ、という話を伺ったことがあります。
現代ではカラスに荒らされるから墓地にお供え物は置いて帰らないように、と注意されるようになりました。
今一度、「供える意味」について私どもと共に考え直してみませんか?
昔はお供え物を墓地へ置いてくることが結果的に子供たちのご馳走となっており、墓参や供物の功徳を回らしていた(回向)と云えるでしょう。
現代でもしっかりと功徳を回らし向けるためには、墓参の際に供物を供えた場合、お参り後は持ち帰り参列者で分かち合い召し上がっていただくことです。
例えば、参列者が4名の場合、仏さまからのお下がりを考えるとお供え物のお菓子は4個だけでも構わないですし、必ずしも山積みである必要はないのです。
私たちの提案する「えこうセット」は、お供え物のお下がりを地元で支援を必要とされる方にも「おすそ分けする」という選択肢は如何でしょうか?という取り組みです。
もちろん、従来通りの方法でお供物を準備し分け合って食していただいて構いません。
(お供え物の有り様については地域差がありますので、各地の事情を大切になさってください)
あくまでも、選択肢のひとつとしてこのような活動を始めたことをお知らせさせて頂きます。
ご希望される方は、法事申し込みの際に「えこうセット」を希望する旨をお伝えください。共に支え合う世界はお釈迦さまの願いです。
各自治体にある社会福祉協議会など、皆さんが住む地域の課題解決に取り組む団体にお供物を寄付するボランティア活動であり、お下がりを分かち合う行為こそが菩薩行の実践(回向)という功徳を積むための行為と成り得るのです。
ソナエルそのA 災害にソナエル「防災」プロジェクト
「防災」プロジェクトとして、災害にソナエルため非常食(防災食)を本堂に備え、消費期限が切れる前にローリングストック方式で社会福祉協議会に寄付を行う取り組みを始めました。
特に検校庵は両脇を沢に挟まれておりますが、その沢はハザードマップの土砂災害警戒区域であり、非常時には孤立する可能性を否めません。
防災・減災の観点から云えば、早めの非難をすることが重要なのでしょう。
しかし、地震などによる突発的な道路の寸断が起こることも想定した備えはとても重要です。
私どもは、備えることの重要性を啓発する活動に取り組みます。
また、近隣世帯分まで非常食を備蓄することを目標としているため、現在では個人・企業さまに対して広く寄付を募っております。
この度、検校庵とは長年に亘り花見会場としてご利用頂くなど交流のある企業、株式会社アイン様が「防災」プロジェクトへの企業協賛に賛同して下さいました。
株式会社アイン様からの協賛金を元に、非常食を購入させていただきました。これらは期限が切れる前に社会福祉協議会へと寄付をさせて頂きます。
これに併せてお寺としても災害に備えて、防災バックやヘルメット、水、シュラフなどを揃えて非常時に備えることにしました。
このプロジェクトでは、お寺単体ではなく地域とのパートナーシップにより目標達成することを目指します。
関心を抱かれた方はご連絡くださると幸いです。
ソナエルそのB 施食会にお裾分けできる缶詰などをソナエル「フードドライブ」プロジェクト
令和6年夏の施食会では、お寺を会場としたフードドライブ(お寺が食料寄付受付所窓口となる)の実施を予定しております。
食べきれない食品や、おすそ分けできる食品を、新盆・先祖供養されるお施主様に持ち寄っていただき、法要後に寄付をするというボランティアです。
このような行為は布施行(見返りを求めない施し)という修行であり、「喜捨」「手放す」とも表現されます。
先立たれたご家族、先祖さまに思いを寄せたとき、改めて「多くの方々が紡いだ命の歩み」によって成り立っていることに気が付くはずです。
そのご恩に報いる、報恩の営みは仏教においてとても大切にされます。
重ねて、知恩という言葉がございますが、頂いた恩に気づくということです。
私たちは知らず知らずのうちに色々な方面から恵みを与えられ生きています。
このことに気づくことが知恩です。
恩を知り、恩に報いんがため、他の誰かにも恩を送ってみませんか。
あるを尽くす
「あるを尽くす」は諏訪地域でよく耳にする言葉です。
私(副住職)が長野県に来てほどなくしてこの言葉を聞いたときは「今何て言いました?」と思わず聞いてしまいました。
意味を知れば「なるほど」と納得し、「いい言葉だな」と感心しながら食事を頬張ったことを覚えております。
宴会の席で中締めになると「え〜、宴もたけなわですが・・・それではあるを尽くして頂いて」などと、「目の前に並んでいる料理を残さず、きれいに食べきって宴会を締めよう」という意味で使われているようです。
また、「その瞬間の力を出し尽くして」という意味も含まれます。
さらに長野県には、食べ終わりに「いただきました(お命頂戴しました)」という表現を使う習慣もあるそうで、どちらの言葉も信州の風土、気質を感じることができる素敵な表現であると感じております。
目の前にある食材の命を頂戴する「いただきます」、作り手に感謝しつつも残さずきれいに食べきる「あるを尽くす」、今の精一杯を尽くした先にある「いただきました」。
SDGsなどという言葉が生まれるはるか昔から諏訪地域に存在している素晴らしい価値観と云えます。
検校庵では、さまざまなソナエルを通して地域の課題解決に向けて「あるを尽くして」取り組みます。
副住職 藤田清隆 合掌