お釈迦さまが誕生されたのは紀元前463年頃。達磨さまがインドから中国へ、禅を伝えたのが5世紀前半。道元禅師が中国から帰国し、日本に曹洞宗を伝えたのが1227年。

 

仏教の約2500年にも亘る歴史は、教えを絶やさずに伝え続けた歴史といえます。

 

この教えをもとに、故人を迷いや苦しみの世界から解き放ち、お釈迦さまの世界、悟りの世界へと送り出す儀式です。

葬儀はただのお別れの式ではありません

故人は葬儀によってお釈迦様の弟子となり、煩悩から解き放たれた仏さまの世界へと旅立たれます。

 

仏の弟子となって頂き、旅立たせることが曹洞宗の葬儀です。

 

そして、旅立たれる故人に対し修行の励みや助けとなるようにと、現世に生きる私共が施し、敬い、願う心こそ供養です。

 

剃髪ていはつ 剃刀かみそりをかざし、現世の煩悩、執着を断ち切ります


剃髪ていはつの偈

 

流転三界中るてんさんがいちゅう<あらゆる世界を彷徨い続ける私達にとり>

恩愛不能断おんないふのうだん<家族との恩愛を断つ出家は忍び難い>

棄恩入無為きおんにゅうむい<されど恩愛を断ち仏弟子となることこそ>

真実報恩者しんじつほうおんしゃ<真に父母家族の恩に報いる者となる>

剃除鬚髪ていじょしゅほつ<髪の毛とひげを剃り落とすとき>

当願衆生とうがんしゅじょう<故人のために皆でひたすら願う>

永離煩悩ようりぼんのう<煩悩の苦しみから永遠に離れ>

究竟寂滅くぎょうじゃくめつ<いつまでも安らかであることを>

 

懺悔さんげ 現世の行いを省みて、仏弟子としての未来を誓います

懺悔文さんげもん

 

我昔所造諸悪業がしゃくしょぞうしょあくごう<自らの行いで生じた諸々の罪悪は>

皆由無始貪瞋痴かいゆうむしとんじんち<心に潜む欲と怒りと愚かさが原因>

従身口意之所生じゅうしんくいししょしょう<行い、言葉、意識により生じたもの>

一切我今皆懺悔いっさいがこんかいさんげ<我今、その一切を仏前に懺悔する>

 

洒水しゃすい 師匠となる導師より、智慧の水を洒がれて仏法に目覚めます


導師は自らが受け継いだ祖師伝来の教えを水に溶かし、場を浄め、煩悩を滅除し、故人を真の仏法に目覚めさせます。

 

授戒じゅかい 十六条の約束事、仏弟子としての自戒を授かります

 

仏弟子となる為、導師と交わす約束事は全部で16条あります。
約束というのはつまり、仏弟子として歩んでいくときに必要な自らが保つべき戒めのことを意味します。
それゆえ「してはならない」ではなく、「しない」。善い人生を送るために、善い行いを積み続けるのです。

 

 

三帰戒さんきかい

南無帰依仏なむきえぶつ<お釈迦さまは真理を説く師である、それゆえに心の依りどころとする>

南無帰依法 なむきえほう<その教えは優れた薬のようである、それゆえに心の依りどころとする>

南無帰依僧なむきえそう<教えを実践する仲間は勝友である、それゆえに心の依りどころとする>

 

三聚浄戒さんじゅじょうかい

第一摂律儀戒しょうりつぎかい<一切の悪事を行わない>

第二摂善法戒しょうぜんほうかい<すすんで善行に努める>

第三摂衆生戒しょうしゅじょうかい<他者のために行動する>

 

十重禁戒じゅうじゅうきんかい

第一不殺生戒ふせっしょうかい<いたずらに生き物を殺さない>

第二不偸盗戒ふちゅうとうかい<人のものを盗まない>

第三不貪婬戒ふとんいんかい<淫欲を貪らない>

第四不妄語戒ふもうごかい<騙したり嘘をつかない>

第五不古酒戒ふこしゅかい<酒に溺れない>

第六不説過戒ふせっかかい<人の過ちを責めたてない>

第七不自讃毀他戒ふじさんきたかい<慢心をもたず人をけなさない>

第八不慳法財戒ふけんほうざいかい<人の為になる施しを惜しまない>

第九不瞋恚戒ふしんいかい <怒りで我を失ったりしない>

第十不謗三宝戒ふぼうさんぼうかい<仏法僧の三宝を謗らない>

授戒により授かる仏弟子としての証は2つ

ひとつは「戒名かいみょう」です。仏弟子の証である名前であり、仏法つまり仏の教えが込められております。

 

もうひとつは「血脈けちみゃく」です。お釈迦さまから始まり、インド・中国・日本と仏法を受け継いでこられた歴代の祖師様方の名前が書かれた伝法の系図です。

 

 

仏教を開かれたお釈迦さま、中国に禅を伝えた達磨大師、曹洞宗を開かれた道元禅師、検校庵住職まで書かれた僧侶の名前は、血を意味する朱色の線で一本に繋がっております。

 

血脈には戒名が添えられ、棺の中にいる故人に対して授けさせて頂きます。

旅立ちに際して奏でられる古代よりの調べ

お釈迦さまが亡くなられた際にも多くの人々によって音楽が奏でられていたことが経典に記されております。

 

曹洞宗と云えば「チン・ドン・ジャランのお葬式」と呼ばれるほど、古くから音楽供養として奏でられてまいりました。

 

 

これらの鳴らしものは、故人を仏さまの世界へと導くためのお経「大宝楼閣善住根本陀羅尼だいほうろうかくぜんじゅうこんぽんだらに」の前後に鳴らしております。

 

ゆったりとした間隔で交打を始め、次第に間隔を短くしながら厳かな調べを奏でます。この音色で諸菩薩をお招きし道案内をお願いするのです。

引導いんどうで故人をお釈迦様の世界へと送り出す

導師は古来の土葬に因みくわを手に持ち、円を描く引導の作法を行います。円は究極の悟りを意味し、生と死が一体であることを説きます。

 

続いて読まれる法語ほうごでは、旅立ちに際して故人の生前の功績を讃えるとともに、お釈迦さまや祖師方の教えが説き捧げられます。

功徳くどくめぐらしもって故人に手向たむける

葬儀では複数人の僧侶が一緒にお経を読み、参列者は焼香を行います。それぞれの行為に功徳があり、その功徳を廻らし以て故人の旅立ちの供養と致します。

 

功徳とは「良いこと」、仏教では「善い行いによって生まれた善い因縁は、必ず善い果報をもたらす」という因果の道理を重視しております。
功徳がある行為としてイメージされることは、読経、写経、巡礼などでしょうか?これらに限らず、善い行い全てに功徳があるわけです。

 

しかし、功徳を積むのは何も故人に対してに限られたことではありません。托鉢をする僧侶に食べ物や金品を施すことや、自らの身体を使いボランティア活動に参加すること、募金などの寄付行為にも功徳があると言えます。

 

今を生きる誰かの為の施しであっても、功徳は廻り廻って間接的に故人へと届くのです。
故人の分まで生きることを誓いましょう。誓いに従い生きることが故人への供養となり、功徳を積み続ける尊い生き方であります。

 

検校庵のお葬式では、ご参列頂いた方々には式中のご焼香の他、初七日の供養として全員で舎利礼文しゃりらいもん普回向ふえこうの読経を行い、追弔御和讃ついちょうごわさんをお唱え致します。故人の旅立ちへの思いを込め、大きな声で読経をお願い申し上げます。

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