地域の方々からは「おけんぎょうさま」と呼ばれ親しまれております。

 

お寺の出来る由来となった「検校堂けんぎょうどう」には「検校尊像」がお祀りされております。
古来より眼神として信仰が続いております。

尼寺の歴史記事一覧

検校とは

この地には古くから検校けんぎょう信仰があり、検校堂けんぎょうどうというお堂が存在していたそうです。検校(けんぎょう)は、中世・近世日本の盲官(盲人の役職)の最高位の名称。檢校とも書いた。出典:Wikipediaお堂が建てられた由来には諸説あり、次のようなものです。雨夜尊あめよのみこと説「矢ヶ崎村検校堂略記」には「当所検校堂と申すは、一千余年にも相成り候」という書き出しがあり、この地を訪れた盲人を休...

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お堂に住み着いた尼僧たち

明治維新前後に村人により寄進された御影石製の検校尊像天保の頃、尼僧2人が托鉢行を行いながら当地に辿り着き検校堂に住しました。本尊釈迦牟尼仏が安置されたのが天保8年(1837)とされます。この2人、香嶽秀老こうがくしゅうろう尼、弟子禅山祖門ぜんざんそもん尼が諏訪中を托鉢して明治12年(1879)本堂を再建し、秀老尼の師匠である曹巌愚渓そうがんぐけい大和尚(秋田県蚶満かんまん寺)を勧請かんじょうして開...

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智道さん黙全さん

七世智道庵主と八世黙全庵主検校庵の話を伺うと必ずと云って良いほど「ちーちゃん」「ぜんちゃん」という名前を耳にします。「ちーちゃん」とは検校庵第七世の鈴木智道ちどう大和尚、「ぜんちゃん」とは検校庵第八世の鈴木黙全もくぜん大和尚のこと。可愛らしい愛称で地域の皆様に親しまれ、庵主あんじゅ様としての生涯をそれぞれに閉じられました。検校庵の苦難昭和43年6月、当時地域の信者さま方に多くの寄付金を頂戴し本堂の...

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これからの検校庵

ご挨拶の中にもありましたが、検校庵では副住職夫婦を迎えられました。古来より、尼寺では乳飲み子の女の子をお寺で育てながら、尼僧として育てあげ尼僧を絶やさぬように続いてまいりました。それが今迄の「おけんぎょうさま」です。ところが、現住職が30代半ばを過ぎたころには、日本の法律により「独身の養親は特別養子縁組ができない」と変わっていたそうです。役所に何度も相談し、尼寺の歴史と仕組みを説明しても「法律は変...

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