お堂に住み着いた尼僧たち

明治維新前後に村人により寄進された御影石製の検校尊像

 

天保の頃、尼僧2人が托鉢行を行いながら当地に辿り着き検校堂に住しました。
本尊釈迦牟尼仏が安置されたのが天保8年(1837)とされます。

 

この2人、香嶽秀老こうがくしゅうろう尼、弟子禅山祖門ぜんざんそもん尼が諏訪中を托鉢して明治12年(1879)本堂を再建し、秀老尼の師匠である曹巌愚渓そうがんぐけい大和尚(秋田県蚶満かんまん寺)を勧請かんじょうして開山して以来、代々尼寺として続いております。

 

明治初期は、寺社領上知令により近隣寺院では境内地以外の領地が没収され、また廃仏毀釈により諏訪大社神宮寺が解体されたりしておりましたが、その間も2人は托鉢を続け、満を持しての本堂再建となったわけです。

 

開創された天保8年(1837)以来、180年以上の永きに亘り尼寺として続き、地域の駆け込み寺でもありながら現在の第九世恵道庵主さんまで続いております。

 

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