水鳥
道元禅師が詠まれた詩をご紹介いたします。
水鳥の行くも帰るも跡たえて され共路はわすれさりけり(応無所住而生其心)
水鳥たちは、秋は南へ渡ってゆき、春は北へ帰ってゆく。行路には何の跡をも残すことはない。それでも、水鳥たちはその行路を忘れることなく再びこの地を訪れるのである。
副題は「応無所住而生其心」
「応に住する所無くして、而も其の心を生ずべし」と詠むことが出来ます。
住むところが無い、つまりこだわる事のない心持ちを保ち得ることによってこそ、何物にも縛られることのない本来の自由な心を保てるのであります。
「私のこだわりがつまった部屋をご紹介します!」などと「こだわり」という言葉は良い意味で使われることが多いですが、本来はこだわりとは「執着心」の現れであります。
こだわるからこそ、許せない。執着心が強いからこそ、相手を容認することを自分自身が許せないのです。
何の為に生きるのか
人間以外の動物は、「生きるため」に命を奪います。
人間は「自分の欲望のため」に命を奪います。
狩猟中心の縄文人は人間同士の喧嘩などなかったそうです。
弥生時代以降、定住し始めてから集落ごとの争いが絶えぬまま現代にいたると聞きます。
水鳥は、定住することなく生きるため時期に応じて飛び立ち、人生の歩みを進めます。
「もしかして何かにこだわってはおりませんか?」
苦しみの原因を考えることは何より大事な事なのです。
心のおきどころ
日本という恵まれた国に守られながら豊かな生活を送ることが出来る一方で、本来の自分を見失うことで本来豊かであるはずの人生に苦しみを感じてしまうのかもしれません。
「あるがまま、あるべきように」 このような言葉があります。
欲望の赴くまま、ではありません。
「本来あるがまま、本来あるべきよう」に行動するわけです。
ちょっと難しい話かもしれません。
でも、「本来」とは何だろうと少し考えればヒントは見えてくるのかもしれません。
私たちの「心のおきどころ」は、ある一方にばかり傾いてもいけません。常に真ん中、右に左にと偏らないところに置きたいものです。