我逢人(がほうじん)
我逢人、たった三文字で現される禅語です。
我、人と逢う。
たったこれだけではありますが、人と出逢うことの尊さと喜びを噛みしめながら読んで頂きたい言葉です。
出逢いとはどのようなものなのでしょうか?
一期一会(いちごいちえ)
一生に一度きりの出会い。
ことわざとして広く知られておりますが、根本にある教えは仏教であるというのは有名かもしれません。
元は千利休の言葉であり、茶事の心得として
「路地へ入るより出づるまで、一期に一度の会のように、亭主を敬い畏べし」
と述べていたことが始まりです。
その後に、江戸時代末期の大老井伊直弼が「一期一会」と四字熟語にして今に至ります。
たとえ毎年同じ日に同じ仲間で行われるお茶会の席であっても、その日・その時・その瞬間は二度と訪れることの無いかけがいのない一時なのです。
一期とは仏教の言葉で、生まれてから死ぬまでのこと、つまり一生涯を意味します。
これは、毎朝顔を合わせる家族であっても同じことです。
たとえ毎朝あたりまえに「おはよう」と挨拶していても、本当にあたりまえなのでしょうか?
有り難いからありがとう
私たちが普段使うありがとうの語源となった逸話をご紹介致します。
「盲亀の浮木」
海底に棲み100年に一度だけ海面に出てくる盲目の亀が、海面に浮かぶ浮木の穴に頭を入れるという逸話。
お釈迦さまは「この亀が穴に入る事よりも、人として生まれることの方が難しいことである。有り難いことなのですよ。」と申されたそうです。
今を生きている自分という存在は「有ること難し」途方もない確率の中で授かった命であります。
人として生まれ、さらに仏教と出逢えたことは奇跡と云えるのでしょう。
しかし、その命がいつか終わりを迎えるというのは避けることが出来ません。
家族なのだから、毎朝挨拶するのも当たり前なのかもしれません。
しかし、家族として出会えたこともまた、有り難いことです。
日々の暮らしの中における様々な出逢いもまた、有り難い因縁の元で起こっております。
禅語を謳いあげたアーティスト
2015年デビューの「Mrs. GREEN APPLE」は、
「我逢人」というタイトルの楽曲をインディーズ時代にリリースされております。
その歌詞の中
例えば出逢いなんて無く
例えばあなたなんて居なく、
そしたら そう間違いなく
独りは寂しく悲しいから息を止めるんだろう。
このように詠います。
まさにこの通りかもしれません。
2020年、新型コロナウイルス感染症により、「当たり前」と思っていた日常こそが、
まさに出逢いの繰り返しであったことを多くの方が実感したのではないでしょうか?
改めて我逢人とは
毎日会う人であっても、今日の出会いは昨日とは違います。
人も物も縁起によっての出逢いがあります。
曹洞宗を開かれた宗祖道元禅師は、道を求めて中国へ渡り念願の師と出会えた悦びを
「まのあたり先師をみる これ人にあふなり」という言葉に残されました。
人と逢うことで私どもは多くを学び、特別な出逢いは自分自身を大きく深く変えるほどの力を持っております。
日々の出逢いに喜びを感じて頂きたいと願います。
それが例え、リモートワークやSNSといったものであったとしても、
その因縁を大切にして頂きたいと願います。
偶然と必然の狭間で、出逢えて良かったと思って頂ける自分自身でありたいですし、
どのような状況下にあっても、日々の出会いに「有り難う」と言葉にして伝えたいものです。