無常と有常
道元禅師はつぎの詩を詠まれました。
世中は何にたとへん水鳥のはしふる露にやとる月影(無常)
私たちが生きる人生をこの世界に例えるのであれば、水鳥が口ばしを振るった際にできる水しぶきの露に映りこむ月影のようなものである。
諸行無常、全てのものは皆この世界にとどめることなく移りゆく存在である、という言葉は耳にしたことがある方は多いと思います。
それは世の常であり、私たちの姿形もまた、その通りであります。
有常
では、有常とは何のことでしょうか?
全ての物が移り変わるこの世界に於いて、決して変わることのないものなどあるのでしょうか?
物質で考えると「そんなものは存在しない」という答えになるのですが、世の中に存在するものとして考えるのであれば...
「ある」といえると思います。
出会いと別れを繰り返してきた我々人類の歴史に於いて、物質的には等しく存在し続けた存在は無いかもしれません。
しかしながら、今ここに我々の命が存在するのは事実ですし、命を繋いでくれた祖先がいたからこそ存在するのが私たちの命です。
命は続いていく
命は循環し、数万年もの間この世界に今もなおとどまり続けている存在です。
出会いに喜び、別れに悲しみを伴うこの感情は変わることなく存在しております。
水鳥は春になると北へ行き、秋になるとまた同じところに帰ってきます。
それはもしかしたら、水鳥として生きる上で与えられた宿命なのでしょうか?
私たちにもそれぞれ与えられた宿命はあるのかもしれませんが、運命は変えることができます。
ただ悪戯に歳月を重ねてはいけないということに気付き、どう生きようかと考えることが大切なのです。